- 2008-12-20 (土) 1:14
- 音楽
BUCK-TICK 『HEAVEN』 買って来た。
ゆっくり会社を出てビックカメラでiPhone舐める様に眺めて等などと悠々ぬかしていたら、何時の間にかタワレコの閉店する時間に。慌てて飛び出してまだ閉店していないCD屋を探すも、池袋って路面CD店無いんだよな。取り敢えず無いかもしれないけど確実に開いてるrecofanにでも行ってみようかと足を向けるも、まあBUCK-TICKなんてものはある筈も無く。何故かSuperflyの中古を購入してしまった。何でだ。こういう事態になるので品数の多い中古屋には予定外に行かない方が良いという事だ。
ああもう、他にも何所かあったっけかな。と思いtwitterで「めしたのむ」的に助けを求めたら、ある方が「サンシャイン通りのHMVならまだ開いている」と教えてくれたので、ひゃっほうと喜び勇んで向いました。開いてました。そうだここに路面店在ったんだっけ。どうしても映画館というイメージが強くて忘れちゃうんだな。あと私がタワレコ派って所もまた。
取り敢えずは無事に手に入りました。
以下真面目にレビウ。
新曲を出す度に今迄創り上げたイメージを刷新して再構築して来たという印象が強かったのですが、今回は天使のリボルバー的な初期風ロックの流れを汲んでいる印象を受けます。先行シングルだから次に続くアルバムと前作の橋渡し的な位置づけでリリースされたのかもしれません。変態では無い方の『今井節』がぐりぐりと廻る『BUCK-TICK的優しい曲』の王道を踏襲した造りになっています。アルバムのエンディングにぴったり……と思ったら、アルバム『memento mori』の一番最後に挿入されていました。きっとライヴでもアンコールの最後の最後に演奏したりするんでしょうね。試聴した所個人的には『GALAXY』の方が盛り上がる気がするのだけど、BUCK-TICKですからね。Aメロの歌詞が空耳っぽいのですが(えええ!)逆にめりはりが付いて退屈を感じさせず、優しくて明るくて切なくて荘厳さも兼ね備えた、ただ優しいだけの曲では無い仕上がりが心地良いと思いますです。
わたくし正直な所、BUCK-TICKの「優しい曲」というものが案外と苦手で、試聴した時も「ああこっち来たな」と思ってしまい、余り興奮する事が出来ませんでした。優しくて柔らかくて愛し合って、というのは生きるのに良いテーマであっても、個人的には刺激が足りなく、無条件で三ツ星付けるには躊躇する所があり、彼らの優しい曲は「味噌は濃いけどダシの足りない味噌汁」的で、素敵なのに一味足りないからつい七味唐辛子振っちゃったみたいな(どういう喩えだ)気がしてならなかったのです。申し訳ないとは思っていても、ライヴで鼓動とか演奏したら私は寝る。否、寝た。
そのダシの足りない「優しい曲」と云ったものの、現在の所この手の曲をリリースする毎に捜し求める味覚は徐々に徐々に濃度を増している感は確実に感じる所であります。曲調やメロディラインは普遍的に美しいと思われるパターンを取り込み、尚且つこれまでBUCK-TICKが築いた独自の路線は崩さずに、拘束術式零号開放に向って一歩ずつ着実な歩みを見せているのです(開放すんな。何故リリース毎に「優しい曲」の完成度が上がるのかに付いてのヒントとしては、5人各々、特に曲を書く今井/櫻井の成熟さ、つまり優しい曲を書くに当たって、本当に優しさを実感する事が出来る器であるかが重要なのではないかと心当ててみました。優しいって何、幸せって何、諦める事と受け容れる事の違い、世界は美しいと己の腑に言聞かせている内はその美麗さの真髄を理解してはいない、技術の向上云々もあるのだろうけれど、「優しい曲」を書く格を得たという事になるんだろうかな。んまぁつまり年取ったからだね、って云ったら元も子も無いのだがー無いのだがー。
リリースの度にライヴの度に、段階を踏んで完全形態へと近づいていく過程を追うのは、むずむずして、うきうきして、心が躍るものです。一番好きな人たちが眼の前に現われる度に魅力的に変貌していくなんて、どきどきしませんか。わたしはします。もっともっと素晴らしくなる彼らを見て居たいのに最後の瞬間が来ないで欲しいと切に願うのは相反する感情であり、わたしたちは一直線のタイムライン上を前に進んでいるのみで、決して後戻りをする事は出来ない事を認めなくてはなりません。進めば何時かは最後に辿り着くのは周知の事実なのに、私はどんどん素敵になって行く彼らばかりをずっと見ていたくてたまらない。そんな真実の見えない振りをする内は、「優しい曲」を受け入れる為の器が甘いのだろうなと思いながら、今日もどきどきを繰り返しています。
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