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日本の妖怪魑魅魍魎マンガ
日本には不思議なものが出てくるマンガが沢山あります。不思議なものを描く絵師、マンガ家も沢山います。
しかしこの不思議なものが出てくるマンガを全て『妖怪マンガ』と括るには早計です。妖怪マンガと呼んでいいマンガには、ある程度の基準があります。わたくしの決めた勝手な基準ですが、ドウゾお付き合いください。

まず、妖怪やオバケや魑魅魍魎が出てくること。これは必須です。場合によっては悪魔や精霊でもかまいません。彼らが出てこないことには『妖怪マンガ』と銘打った意味がありません。
その中でもいわゆるホラーといったジャンルの作品は敢えて外したいと思っています。何故かと言うと、わたしは怖いものが嫌いなのです。というのは本気とも冗談ともゴニョゴニョ置いておいてゴニョゴニョ。
妖怪というものは、単に恐怖の対象として扱わずに、もっと民俗学的に愉快なものとして性格づけられていた方が面白いなぁと思っています。人を怖がらせたり死に追いやる妖怪も多いのですが、それに至るには妖怪側にも経緯があり、理由があり、また人間の頭の中で長い間育てられて来た結果としてそういった性格を持ったということに過ぎないのです。
ですので、恐怖という要素のみを追求したホラーまんがは、妖怪マンガとしてはあまり妖怪らしさを引き立ててないなぁといった所存です。っちゅうか正直怖いものが嫌いなだけなのだけど。
たまーに更新して増えていきますので宜しくお願いします。

ゲゲゲの鬼太郎/水木しげる
ゲゲゲの鬼太郎 (3)
まず妖怪マンガの代表作といえばコチラ。水木しげる作『ゲゲゲの鬼太郎』。
このページを見ている人なら誰でも知ってる筈。多分知ってる筈。数十年にわたり描き続けられている名作妖怪マンガです。
初期の鬼太郎は『墓場鬼太郎』というオカルト色溢れる怪奇マンガでしたが、ホラー要素の中にもコミカルな描写が多く、出現する妖怪も個性が強くて多種多様、一概に怖いだけのホラーマンガとも言えない作品でした。只今文庫で復刊しているので、ゲゲゲの鬼太郎しかしらない方も一度見てみたら楽しいと思います。
鬼太郎は年月とともに『妖怪退治』マンガとして成長していきますが、主人公鬼太郎は決して超人的に強いわけではありません。いや本当は強いのかもしれないけれど、とにかくちょっぴりマヌケで粗暴で、とってもじゃないけど正義の味方という範疇だけで区切るのはもったいない性格をしています。
アニメの、特に3期なんかを好んで見ていた人にはなんじゃそりゃという感じがするかもしれませんが、このマヌケさはアニメにも引き継がれています。どの辺かというと、よく見てください。鬼太郎さんは、一度は必ず敵の妖怪の手に落ちるのです。www
催眠術で操られ、触手でいたぶられ、ぐるぐるまきにされ、挙句の果てには体を乗っ取られて知らないうちに悪行三昧をされていたという事もあります。原作と大幅に違ったことで原作ファンになんやかんや言われた3期ですが、そうやって見るとしっかりと原作を踏襲してるなぁと思うのです。
どろろ/手塚治虫
どろろ (第1巻)
そして現在(2007年2月)絶賛映画上映中のこれ。 手塚治虫作『どろろ』。
手塚治虫も数々の妖怪マンガを描いたマンガ家ですが、その中でもこの作品はぴかいちです。マンガという表現方法を取っている以上、キャラに魅力を、お話に盛り上がりを、そして単純明快で楽しくなくてはなりません。手塚大先生を取り上げてどうこういうのもどうかと思うのですが、どろろにはこの全てが詰まっています。っていうかかっこいいんだよ百鬼丸百鬼丸ああ百鬼丸(紹介になってないww
そういったマンガの基本的な部分をオサえたバランスのよいマンガというのは勧善懲悪の単純なマンガになってしまいがちですが、どろろの場合何が違うのかというと、百鬼丸自身が『妖怪』的なモノとなっているところです。体の48箇所を奪われ唯の人間なら生きていけるかも分からない状態で、更にその状態で動けて戦えて剣だって振れるというのは、『妖怪』の加護(?)なくしては出来ません。彼は良くも悪くも妖怪に生かされていて、そこから自分の力で『生かされる』状態から『生きる』状態に辿り着こうとしているのです。彼自身が妖怪的なモノである事で、倒す目標は自分じゃないけど自分の中にいる何かという奇妙な図が出来上がり、いっそうどろろの物語に魅力を与えています。
常々「手塚作品でこれだけは同人誌だって描けるぜ」と思っていたのですが、映画化してほんと嬉しかったです。でもまだ見に行けてません(愚。